秋田鉱山専門学校伝統歌
秋田鉱山専門学校伝統歌





秋田鉱山専門学校校章

秋田大学鉱業博物館の写真説明文より:「ダイヤモンドと校章」

旧鉱山専門学校の校章は、その風変りなデザインで全国の高等専門学校中、
異彩を持つものとして知られていました。そのデザインは、初代校長小花冬吉先生が
その純粋さと美しさの故に愛したダイヤモンドの八面体結晶を斜め上から見上げた形に、
鉱山の象徴であるハンマーとたがねを交差した形とを重ねたことに由来しています。
現在は、学部のシンボルマークとなっています。


剛毅   
           雄飛


まえがき



秋田県は古来より多種に渡る鉱物が産出し、江戸時代には「院内銀山」や「阿仁鉱山」
が最盛期を迎え、明治以降は海外から外国人技術者を招聘、先進の技術を導入し「小坂」「花岡」
「尾去沢」など本邦有数の大銅山が開発され、我が国の近代化と外貨獲得に貢献します。
更には「八橋」「豊川」「黒川」の相次ぐ油田開発により、鉱業県としての名を轟かせます。

この頃、我が国の主要産業である鉱業の技術者養成が急務となり、1910年(明治43年)3月に
本邦唯一の官立鉱山専門学校で秋田県初の高等教育機関として秋田鉱山専門学校が設立。

幾多の人材を輩出し、我が国の鉱業発展に大いに寄与します。

戦後は荒廃した国土と経済の復興の為に、国家による支援で鉱業は徐々に復活。

その頃、秋田鉱山専門学校は1949年(昭和24年)5月 に 新制・秋田大学鉱山学部となり、
戦後の日本経済を支える人材の育成機関として発足します。

昭和25年より、秋田大学鉱山学部が協力し秋田県により全県の地質調査が開始され、
「秋田県地質鉱産図」が完成。これを機に、積極的な探鉱が官民学の協力で行われ、
昭和30年代から急速に進んだ試錐技術により、北鹿地域に於いて地下250mを越える深部から
極めて高品位で塊状の黒鉱鉱床が相次いで発見。「松峰」「釈迦内」「深沢」などの鉱山が開発され、
高度経済成長の一翼を担い、秋田県は再び国内有数の鉱山県として隆盛を極めました。
本校の地質・鉱山研究及び卒業生が技術者として戦後の鉱業界に貢献した一例です。
昭和40年代以降は貿易自由化、石油危機、長期不況などの社会情勢が鉱業界に悪影響を与え、
さらに昭和60年からの急激な円高の進行により、殆どの金属鉱山は国際的競争力を失い、
閉山が相次ぐようになり、遂に我が国の鉱業は衰退に向かいました。

秋田大学鉱山学部は鉱山の現場に於ける鉱業技術者養成機関としての役目を終え、
平成10年(1988年)に、鉱山学部の改組・再編によって、工学資源学部が設置され今に至ります。



熱誠   
           豪気




〜発起文〜

押忍 ここに発起文をもって手形学び舎の同窓生に告ぐ。

本邦唯一の官立鉱山専門学校として、幾多の人材を輩出し、

その同窓生は国内のみならず世界の鉱業界で活躍、

我が国の経済発展に貢献した秋田鉱山専門学校。

誇り高き秋田鉱山専門学校生により歌い継がれてきた、

校歌を始めとする数々の伝統歌が、今、存亡の機にある。

我等は新制秋田大学の同窓なれど、秋田鉱山専門学校の高邁なる理念に共感し、

その崇高なる学びの精神に敬意を表し、北の大地に燦然と輝く本校の学兄が

日に月に学び舎で歌われた伝統歌を、更なる後世に伝えんと一念発起したものである。

本学に学びし貴兄等が本趣旨に賛同されることを我等心より望む。

発起人:昭和62年採鉱学科卒(B58-14)讃岐国隆明

発起人:昭和62年採鉱学科卒(B58-16)周防国基彦

   嗚呼 我等 矢留城下の本学に集いし同窓也




右:旧鉱山学部採鉱学科校舎・2001年5月撮影
左:工学資源学部に再編された後も校舎入口に掲げられた
 「採鉱学科」プレート・2001年5月撮影


伝統歌 其の壱

〽秋田鉱山専門学校校歌「天与の富」

作詞 東京音楽学校 乙骨三郎
作曲 東京音楽学校 岡野貞一

一番
天与の富はうず高く   地下の宝庫に積まれたり
扉開きて埋もれたる   無限の富を採り出でん
われらが業は昔より   国の力の源ぞ
我等が業はとこしへに   国の栄えんもとなるぞ

二番
世に隠れたる鉱脈も   人に知られぬ炭層も
磨ける知恵の光明に   照らさば遂に獲らるべし
われらが業は日に月に   文化と共に開け行き
われらが業は極みなく   人智につれて進み行く

三番
千仞の谿の奥深く   坑道うがち進む時
万丈の炎天を焼く   溶鉱が火に向かう時
われらが業は磐石を   貫く意志によりて遂げ
我等が業は金鉄の   堅き体躯をまちて(俟)成る

四番
あした(旦)に高き鳥海の   嶺に理想をたぐえつつ
ゆうべ北瀛(えい)の荒波に   不断の努力を学びつつ
われらが心将来の   重き任務にめざめよや
われらが胸に北光の   希望の光輝けや

(ト調四分の二拍子)




秋田大学手形キャンパス

伝統歌 其の弐

〽北光寮寮歌

作詞 第二期生 難波憲一、清水瑞天、関根鉄之助、境田三郎
作曲 不明

一番
盛衰時に消長す   地気北東に盛んなり
つち(地)に霊あり白金や   こがね(黄金)花咲く出羽の国

二番
矢留城下の東なる   手形畷の学び舎に
憧れ来る二百人   朝夕集う楽しさよ

三番
窓外見れば緩やかに   雄物の流れ末遠し
秋象潟の夜の雨   夏空壕(からぼり)の蓮の花

四番
文読む窓の月雪に   心を澄ますわこうどの
故郷の空を仰ぐとき   吟懐(おもい)のいとど遠からん

五番
鳥海颪(おろし)肌寒く   北海の波凄まじき
大空翔くる若鷹の   雲に消え行くウラジオや

六番
万里を搏(はふ)つ鵬(おおとり)の   翼斂(おさ)めて岩の上(え)に
暫し扶揺(ふよう)の秋(とき)を待ち   三年(みとせ)が程の仮住居(ずまい)

七番
鉄槌空に響きては   鳴く鳥の声(ね)や止(とど)めなん
坑道深く潜(くぐ)りては   地底の龍(たつ)をおどろかす
八番
寒水湧きて石沈み   紅蓮の炎岩も溶く
嗚呼勇ましきわが友よ   勉め励まん諸共(もろとも)に





出羽富士「鳥海山」

伝統歌 其の参

〽北光寮離別歌

作詞 針谷雅夫(燃・18) 吉留修(電・19)
作曲 内藤正輔(採・18)

一番
春まだ浅きみちのくの   鳥海の雪消えやらず
またたち帰る弥生月   嘆きを誰に語るべき

二番
千秋の園に花咲けど   朝(あした)散りゆく移り香の
つきせぬ名残り永久(とこしえ)に   留め伝えん雄物川

三番
別離の心月に寄せ   北の光を仰ぎつつ
共に学びし人よ今   なつかしの寮(いえ)去り行かん

四番
想いは夢と流れ去り   迎えし友に送られて
たもとを別つ西東   歩みは遅く時速し

五番
蓮に残れる白露か   砕けて返る白波か
はかなき契り学舎に   結びし友よいざさらば





稲穂を模した「竿灯」

伝統歌 其の四

〽桂林寮寮歌

一番
北光永遠(とわ)に輝きて   洋々巡る日本海
矢留城下に集いては   大和心の桜花
金剛石を頂きて   理想に燃ゆる桂林寮

二番
沓靄(ようあい)香る金照に   松籟(しょうらい)すでに治まりて
健児帰寮に急ぐとき   紅顔照らす洛陽の
光輝く夕雲に   厳然立てり桂林寮



伝統歌 其の五

〽桂林寮離別歌

一番
白雲低く地に迷う   北国原の夕嵐
再開の日を約しつつ   断腸の曲響くなり

二番
それ桂林の伝統に   若き血潮の高鳴るを
訣別の酒汲みほせば   熱涙頬を伝うなり

三番
思えば若葉薫る日に   兄と擁して栄冠の
狂乱に夜を明かせしを   はや一年は夢なりき

四番
時潮の流れ妙にして   乾坤時にうつろうを
事に当たりてうちたてし   兄の勲の数知れず

五番
四年の秋も何かはや   今別れ身の一筋に
誓いも固き桂林の   枝こそ手折る勿れかし

六番
遠き離送の悲歌の音に   別れの袂重き時
心涙にかき濡れて   幸あれかしと祈るなり



伝統歌 其の六

〽鳳雛寮寮歌

青濤欄干として北瀛の潮寄せ来るを!
頭をめぐらせば鴻鵠鳴き荒ぶ白皚々たる鳥海山!
聞け!彼等久遠の真理を囁き 若人の血潮を呼ぶを
矢留城下の一角正気の凝りて立つるもの 之吾等が鳳雛寮なり
照りもせず曇りもはてぬ春の朧月よ  若き日の燃ゆる胸の熱きに耐えかねて
象潟の野を歌ひならすよ  吾等剛毅朴訥の鳳雛寮生の歌を聞く時に
徒に過ぎ行く人生の春を欺く乙女ならずとも 耳をかたむけて聞き入るであろう
いざ さらば 歌はんかな 我等が歌を  eins  zwei  drei

一番
ナイルの河の黎明や   黄河の岸の夢の跡
時運の流れ淀みなく   青史や過ぎぬ三千年

二番
是處千秋の一城址   北光燦と輝きて
学びの庭やひらけたり   ああ北国の寮健児

三番
祖国の使命擔(にな)ひては   母校の明日を思ふ時
健児ともども集ひ来て   厚き友垣結びたり

四番
銀嶺はゆる鳥海の   鳳凰の気を振ふべし
廣漠万里大瀛(うみ)は   無言の訓(おし)へ我に説く

五番
見よ東雲の空遠く   若き生命の曙や
久遠になびく旗のもと   高き理想に生きぬかん



北光寮は取り壊され平成22年3月31日閉寮しました

伝統歌 其の七

〽鉱専数え歌

一番
一つとせ
  人に知られし鉱専生   鍛えし身体は黄金色
(そいつぁ豪気だね~ そいつぁ豪気だね~ )

二番
二つとせ
富士のお山は高けれど   おいらの発破で吹き飛ばす
(そいつぁ豪気だね~ そいつぁ豪気だね~ )

三番
三つとせ
南はおいらの新天地   黒い女にゃ惚れられぬ
(そいつぁ豪気だね~ そいつぁ豪気だね~ )

四番
四つとせ
嫁にやるなら鉱専生   未来は鉱山長(やまちょう)新家庭
(そいつぁ豪気だね~ そいつぁ豪気だね~ )

五番
五つとせ、
今に見ていろこの俺が   二十世紀を背負って立つ
(そいつぁ豪気だね~ そいつぁ豪気だね~ )

六番
六つとせ
胸に血潮が躍る時   手形山で乱舞する
(そいつぁ豪気だね~ そいつぁ豪気だね~ )

七番
七つとせ
泣いちゃいけない気が弱い  二十世紀を生きるには
(そいつぁ豪気だね~ そいつぁ豪気だね~ )
八番
八つとせ
山にうつ伏すこの身体   一斗の酒も口汚し
(そいつぁ豪気だね~ そいつぁ豪気だね~ )

九番
九つとせ
これでもおいらは鉱専生  鉱山(ヤマ)を一手に引き受ける
(そいつぁ豪気だね~ そいつぁ豪気だね~ )

十番
十とせ
とやかく言う奴ぁ野暮な奴   飲めや歌えの大騒ぎ
(そいつぁ豪気だね~ そいつぁ豪気だね~ )

終わりとせ
尾張名古屋は城で持つ   天下の鉱専俺で持つ
(そいつぁ豪気だね~ そいつぁ豪気だね~ )



伝統歌 其の八

〽鉱専節

一番
ハアァ~
  朝の五時から   カンテラ下げてヨ~
竪坑下るも   下るもヨ~
ドント国のためよ
(ヨイトマカセッセ~ )

二番
ハアァ~
竪坑三千尺   下れば地獄よ
末は廃坑の   廃坑のヨ~
ドント土となるよ
(ヨイトマカセッセ~ )

三番
ハアァ~
論語孟子は   読んではみたがヨ~
酒は飲むなと   飲むなとヨ~
ドント書いてないよ
(ヨイトマカセッセ~  )

四番
ハアァ~
手形山から   川反見ればヨ~
粋な書生さんと   舞妓さんがヨ~
ドントちらほらだよ
(ヨイトマカセッセ~  )

五番
ハアァ~
ロックミネラル   鑑定はすれどヨ~
女心は   女心はヨ~
ドント知りかねるよ
(ヨイトマカセッセ~  )

六番
ハアァ~
手形名代の   投げ盃はヨ~
親の意見じゃ   意見じゃヨ~
ドントやめかねるよ
(ヨイトマカセッセ~  )

七番
ハアァ~
切れて飛んで行く   炭車でさえもヨ~
離れまいとて   離れまいとてヨ~
ドントしがみつくよ
(ヨイトマカセッセ~  )

八番
ハアァ~
惚れてくれるな   鉱専の男にヨ~
ダイヤモンドに   ダイヤモンドにヨ~
ドント傷がつくよ
(ヨイトマカセッセ~  )

九番
ハアァ~
俺も見た見たよ   選鉱場の陰でヨ~
姉ちゃ帯ときゃ   帯ときゃヨ~
ドントのしかかるよ
(ヨイトマカセッセ~  )

十番
ハアァ~
女人禁制の   鉱専の庭にヨ~
誰が植えたか   植えたかヨ~
ドント姫小松よ
(ヨイトマカセッセ~  )





番外編~「海外鉱業研究会」伝統歌~





海研部員募集の学内掲示・2001年5月撮影

海研伝統歌 其の壱

〽海研節

一番
海研の学生にゃ娘が惚れる   惚れちゃいけない苦労する
  どうせオイラは太平洋の   沖のカモメが 恋人さ 恋人さ

二番
沖のカモメが恋人ならば   私しゃなりたやカモメ鳥
  たとえ未開地貴方とならば   ついて行きます どこまでも どこまでも

三番
連れて行きたは山々なれど   行く手定めぬ開拓者
  女心を知らぬじゃないが   こらが男の生きる道 生きる道

四番
いとし貴方の御為ならば   悲しい想いを胸に秘め
  たどる夢路に想い出いくつ   きっと待ちます いつまでも いつまでも

五番
今や船出の汽笛が響く   さらばさらばのお別れよ
  風邪をひくなよ涙を出すな   白いハンカチ 見え隠れ 見え隠れ

六番
怒涛逆巻く太平洋の   男涙の移民船
  きっと帰ると後ろを見れば   朝日昇るよ 富士の峰 富士の峰

七番
広い南米に黄昏迫る   今日も一日無事でした
  汗にまみれた作業着なれど   可愛いあの娘の マスコット マスコット

八番
遠く離れた異国の空で   綺麗に輝く星空は
  あれは故郷の乙女の瞳   きっと今頃 涙顔 涙顔

九番
南十字の星影淡く   夢に見てます父母の顔
  今に見ていろオイラの胸にゃ   大和男の児の 意気がある 意気がある

十番
丸い地球の片隅なれど   生きる喜びこの若さ
  末は博士か流浪の民か   これが我等の 海研生 海研生



海研伝統歌 其の弐

〽鉱山哀歌(エレジー)

一番
故郷捨てて旧友を捨て   遥か彼方のこの町へ
  さまよい歩く我が心   まぼろし巡る君遥か
 我が行く道は果てしなく   我が行く鉱山(ヤマ)はいずこにぞ

二番
盃捨てて恋を捨て   酒場恋しきこの町へ
  さまよい歩く我が気持ち   せつなさ巡る我が末よ
 我が行く道は悲しけれど   我が行く鉱山(ヤマ)はしんしんと

三番
恋人捨てて母を捨て   霧のただようこの鉱山(ヤマ)へ
  さまよい歩くわが命   悲しさ巡る我が恋よ
 我が行く道は遠けれど   我が行く鉱山(ヤマ)はひっそりと



海研伝統歌 其の参

〽日陰酒

一番
お前と俺の飲む酒は   共に過ごした仲間酒
  瞼に帰らぬ友浮かべ   過ぎし昔をかえりみて
 互いに交わす月夜酒   (くり返し)

二番
お前と俺の飲む酒は   耐えて忍んだ苦労酒
  吹きゆく風の冷たさに   日々の憂き世のわずらいを
 慰め合いし憩い酒   (くり返し)

三番
お前と俺の飲む酒は   侘しさ紛らす涙酒
  落ちて輪を書くひとしずく   月も揺らめくその中に
 見つけた己の嘆き酒   (くり返し)

四番
お前と俺の飲む酒は   辛く悲しい別れ酒
  時経ち言葉も途切れては   これが最後と酌み交わし
 飲み干す後の帰り酒   (くり返し)



海研伝統歌 其の四

〽蒙古放浪の歌

(海研生全員円陣を組んで)蒙古放浪の歌!eins  zwei  drei !

(円陣を組んだままで)
一番
心猛(たけ)くも鬼神ならず   人と生まれて情けはあれど
  母を見捨てて波越えて行く   友よ兄等(けいら)といつまた会わん

二番
波の彼方の蒙古の砂漠 男多恨(たこん)の身の捨てどころ
 胸に秘めたる大願なれど   生きて帰らん望みは持たじ

三番
朝日夕日を馬上に受けて つづく砂漠の一筋道を
 呼べば川辺が見えねばどこと   水を求めん蒙古の砂漠

四番
残るラクダの糧(かて)うすけれど 星の示せる彼方へ行かん
 大和男の児の血潮を受けて   行くや若人千里の旅路

フレッ!海研! フレッ!海研! フレッ!海研! (全員雄叫び)オー!

(円陣を解く)




これ以下作成中




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