左沢線・米坂線の駅スタンプ-スタンプ道

左沢(あてらざわ)線の駅スタンプ







果樹園の中を走るキハ101形気動車。

写真提供・菊田 菊夫Photo Gallery 『写真蔵』


左沢(あてらざわ)線は、山形県山形市の北山形駅から山形県西村山郡大江町の左沢駅を結ぶ、
路線距離 24.3km、駅数11の全線単線の非電化路線です。
終点の左沢(あてらざわ)駅は、「ひだりさわ」と読む人が多く、難読駅名として有名です。
この路線は、「フルーツライン左沢線」(フルーツラインあてらざわせん)の愛称が付けられています。
そのため、「羽前山辺駅」「寒河江駅」「左沢駅」にはフルーツの駅名標があります。


寒河江駅とキハ101形気動車

キハ101形気動車は、左沢線でしか見ることができません。
寒河江駅は沿線でもっとも大きな駅で、
2002年2月に今の場所に新築移転しました。
この「寒河江」の街はさくらんぼで有名です。



                                                                                                                                                                                             
羽前山辺駅 羽前山辺駅のフルーツ駅名標
うぜんやまべ この駅は「りんご」の駅名標です。
2015年5月17日押印 2015年5月17日撮影
羽前長崎駅 羽前長崎駅舎
うぜんながさき 1年に1回「プロ野球」が行われる街
2016年11月3日押印 2016年11月3日撮影
寒河江駅 寒河江駅のフルーツ駅名標
さがえ この駅は「さくらんぼ」の駅名標です。
2012年6月10日押印 2016年11月3日撮影
左沢駅(難読駅名) 左沢駅のフルーツ駅名標
あてらざわ この駅は「ラフランス」の駅名標です。
2016年11月3日押印 2016年11月3日撮影


左沢線の終点・左沢駅前にあるマンホール

左沢駅の駅スタンプと比べるとそっくりだというのが分かります。




最上川橋梁」は、明治20年に東海道線の木曽川に架設された橋梁を、
山形鉄道フラワー長井線(旧国鉄長井線)は大正12年に、
JR左沢線には大正10年にそれぞれ分かれて移設されました。

現役で活躍する橋梁では日本最古です。

歴史的にも構造的にも貴重で、2008年に土木学会選奨の土木遺産になりました。
この「最上川橋梁」は南寒河江駅羽前長崎駅間にあります。




米坂(よねさか)線の駅スタンプ





米坂線などJR東日本の非電化路線で走っている車両。
越後金丸駅で撮影。


米坂線(よねさかせん)は、山形県米沢市の米沢駅から新潟県村上市の坂町駅を結ぶ、
路線距離 90.7km、駅数20の全線単線の非電化路線です。
1日1往復、羽越本線に乗り入れ、米坂〜新潟間を結ぶ「快速べにばな」が運転しています。


越後金丸(えちごかなまる)駅舎

この駅の周囲数百メートルには人家はありません。
だけど駅舎は立派で、平成2年まで「急行べにばな」も停車していました。
この駅舎は昭和42年の羽越豪雨で流されたので、建て替えられたのです。
それにここには貨物の引き込み線もありました。
ここから約5km山奥に「金丸鉱山」があり、ここで採掘された、長石(ちょうせき)は、
セラミック原料として、この駅から貨車に積み替えられて、名古屋方面に運ばれていたのです。
最盛期には月に3千トンの長石が運ばれ、大勢の人がこの駅を利用していました。

mikenekodokiは以前この金丸鉱山の仕事をしていました。
鉱山の坑道内にはバッテリー機関車が鉱石を運んでいました。
そこから、金丸駅までは索道で鉱石を運搬して、駅横の工場で選別しますが、2008年に閉山になりました。

東京から金丸鉱山に出張する時は、早朝に東京を出て、新潟駅まで上越新幹線で行き、駅弁を買います。
そこから「急行べにばな」に乗り、車内で駅弁の朝食。
夕方は逆のルートで、深夜に東京着。なんとか日帰りができました。

越後金丸駅ホームには今でも、鉱石が飾られています。



小国駅は、東北の駅100選に選ばれている駅です。
また、この駅の公衆電話は、外から入るのではなく、駅から入っていくので
冬も安心して電話する事が出来ます。




山形と新潟の県境・荒川峡を走る列車。

写真提供・菊田 菊夫Photo Gallery 『写真蔵』



羽前小松駅前の人気ラーメン店「茂木食堂」。

柔らかいチャーシューと醤油スープの”米沢ラーメン”が食べれます。


                                                                                                                                                                                                                                                                          
米沢駅 羽前小松駅
よねざわ うぜんこまつ
2015年5月17日押印 2016年11月3日押印
今泉駅 羽前椿駅
いまいずみ うぜんつばき
2016年11月3日押印 2012年6月10日押印
小国駅 小国駅舎
おぐに 東北の駅100選に選ばれた駅舎
2015年7月5日押印 2015年7月5日撮影
越後下関駅1 越後下関駅2
えちごしもせき えちごしもせき
2015年7月5日押印 2015年7月5日押印
坂町駅 坂町駅舎
さかまち 扇形車庫の残る駅
2015年7月5日押印 2015年7月5日撮影


越後下関駅に設置されたスタンプ


今泉駅はJR東日本の米坂線と、山形鉄道のフラワー長井線が乗り入れる共同使用駅です。


今泉駅でmikenekodokiが今でも思い出すのが、高校時代に図書室で借りた、宮脇俊三著「時刻表昭和史」です。
作家デビューの「時刻表2万キロ」を読んで、国鉄路線長合計が2万キロというのを知りました。
その後、宮脇俊三氏は、次々と作品を発表して、人気紀行作家になります。
「時刻表昭和史」の最後の章に今泉駅が出てきて、当時東京大学1年の氏はここで、
父親と1945年8月15日正午、終戦のラジオ放送(玉音放送)を聞くのです。
日本が戦争に負け、人々は現実を受け入れることもできず、
明日はどうなるかも分からない不安の中、この作品は印象的な終わり方をします。


宮脇俊三著「時刻表昭和史」第13章米坂線109列車より抜粋


正午が近づくと、人びとが黙々と集まってきて、ラジオを半円形に囲んだ。
父がまた、「いいか、どんな放送であっても黙っているのだぞ」と耳もとでささやき、私の腕をぐっと握った。
この日も朝から艦載機が来襲していた。天皇の放送がはじまった。
放送が終っても、人びとは黙ったまま棒のように立っていた。
ラジオの前を離れてよいかどうか迷っているようでもあった。
目まいがするような真夏の蝉しぐれの正午であった。

時は止っていたが汽車は走っていた。

まもなく女子の改札係が坂町行が来ると告げた。
こんなときでも汽車が走るのか、私は信じられない思いがしていた。

いつもと同じ蒸気機関車が、動輪の間からホームに蒸気を吹きつけながら、何事もなかったのように進入してきた。
機関士も助士も、たしかに乗っていて、いつものように助役からタブレットの輪を受けとっていた。
機関士たちは天皇の放送を聞かなかったのだろうか、
あの放送は全国民が聞かねばならなかったはずだが、と私は思った。


昭和二〇年八月一五日正午という、予告された歴史的時刻を無視して、日本の汽車は時刻表通りに走っていたのである。








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