左沢(あてらざわ)線の駅スタンプ
羽前山辺駅 | 羽前山辺駅のフルーツ駅名標 |
うぜんやまべ | この駅は「りんご」の駅名標です。 |
2015年5月17日押印 | 2015年5月17日撮影 |
羽前長崎駅 | 羽前長崎駅舎 |
うぜんながさき | 1年に1回「プロ野球」が行われる街 |
2016年11月3日押印 | 2016年11月3日撮影 |
寒河江駅 | 寒河江駅のフルーツ駅名標 |
さがえ | この駅は「さくらんぼ」の駅名標です。 |
2012年6月10日押印 | 2016年11月3日撮影 |
左沢駅(難読駅名) | 左沢駅のフルーツ駅名標 |
あてらざわ | この駅は「ラフランス」の駅名標です。 |
2016年11月3日押印 | 2016年11月3日撮影 |
左沢線の終点・左沢駅前にあるマンホール
左沢駅の駅スタンプと比べるとそっくりだというのが分かります。
「最上川橋梁」は、明治20年に東海道線の木曽川に架設された橋梁を、
山形鉄道フラワー長井線(旧国鉄長井線)は大正12年に、
JR左沢線には大正10年にそれぞれ分かれて移設されました。
現役で活躍する橋梁では日本最古です。
歴史的にも構造的にも貴重で、2008年に土木学会選奨の土木遺産になりました。
この「最上川橋梁」は南寒河江駅〜羽前長崎駅間にあります。
米坂(よねさか)線の駅スタンプ
米沢駅 | 羽前小松駅 |
よねざわ | うぜんこまつ |
2015年5月17日押印 | 2016年11月3日押印 |
今泉駅 | 羽前椿駅 |
いまいずみ | うぜんつばき |
2016年11月3日押印 | 2012年6月10日押印 |
小国駅 | 小国駅舎 |
おぐに | 東北の駅100選に選ばれた駅舎 |
2015年7月5日押印 | 2015年7月5日撮影 |
越後下関駅1 | 越後下関駅2 |
えちごしもせき | えちごしもせき |
2015年7月5日押印 | 2015年7月5日押印 |
坂町駅 | 坂町駅舎 |
さかまち | 扇形車庫の残る駅 |
2015年7月5日押印 | 2015年7月5日撮影 |
越後下関駅に設置されたスタンプ 今泉駅はJR東日本の米坂線と、山形鉄道のフラワー長井線が乗り入れる共同使用駅です。
駅前に在った「ますか旅館」には金丸鉱山で仕事の際に何度も宿泊しました。
鉱山のお客さんをもてなすのもこの旅館。
当時の所長さんが席を設けてくれた私の送別会もここ・・・
駅前に佇んで懐かしくて涙が出そうになりました。
今泉駅でmikenekodokiが今でも思い出すのが、高校時代に図書室で借りた、宮脇俊三著「時刻表昭和史」です。
作家デビューの「時刻表2万キロ」を読んで、国鉄路線長合計が2万キロというのを知りました。
その後、宮脇俊三氏は、次々と作品を発表して、人気紀行作家になります。
「時刻表昭和史」の最後の章に今泉駅が出てきて、当時東京大学1年の氏はここで、
父親と1945年8月15日正午、終戦のラジオ放送(玉音放送)を聞くのです。
日本が戦争に負け、人々は現実を受け入れることもできず、
明日はどうなるかも分からない不安の中、この作品は印象的な終わり方をします。
宮脇俊三著「時刻表昭和史」第13章米坂線109列車より抜粋
正午が近づくと、人びとが黙々と集まってきて、ラジオを半円形に囲んだ。
父がまた、「いいか、どんな放送であっても黙っているのだぞ」と耳もとでささやき、私の腕をぐっと握った。
この日も朝から艦載機が来襲していた。天皇の放送がはじまった。
放送が終っても、人びとは黙ったまま棒のように立っていた。
ラジオの前を離れてよいかどうか迷っているようでもあった。
目まいがするような真夏の蝉しぐれの正午であった。
時は止っていたが汽車は走っていた。
まもなく女子の改札係が坂町行が来ると告げた。
こんなときでも汽車が走るのか、私は信じられない思いがしていた。
いつもと同じ蒸気機関車が、動輪の間からホームに蒸気を吹きつけながら、何事もなかったのように進入してきた。
機関士も助士も、たしかに乗っていて、いつものように助役からタブレットの輪を受けとっていた。
機関士たちは天皇の放送を聞かなかったのだろうか、
あの放送は全国民が聞かねばならなかったはずだが、と私は思った。
昭和二〇年八月一五日正午という、予告された歴史的時刻を無視して、日本の汽車は時刻表通りに走っていたのである。