鉱山用語と鉱山のおもしろ話

鉱山用語と鉱山のおもしろ話



このページでは消えゆく鉱山に関する用語やおもしろ話を紹介します。
かつてこの国に栄えた鉱業には多くの人達が関わったが故の面白い話がありました。


    〜鉱山のおもしろ話①-かつて日本の鉱業界は鉱山師(やまし)が跳梁跋扈〜

 ある日、金丸の粂太郎さんが興奮した面持ちで事務所に駆け込んで来ました。
 「Kさん!金鉱石を見てくれ!杁差(えぶりさし)金山の金鉱石と鑑定書だ。」
 粂太郎さんの知人が以前に、ある鉱山師から杁差金山の鉱業権(鉱区)を買ったそうで、
 その際渡された「金鉱石」と、その購入者が分析を依頼した結果でした。
 その鉱石には定番中の定番、黄鉄鉱がギラギラと輝いていました。
 分析結果は果たして、鉄が殆どで、銅、鉛は「微量」、、銀は「痕跡」・・・
 その方がいくらで鉱業権を購入したか知りませんが、当時はどこの県にも鉱山師がまだ居ました。
 各地の通産局には鉱業権登録でトラブルをかかえた”腕の立つ”鉱山師が活躍中でした。
 ある程度資産を持っている方に言葉巧みに鉱業権(試掘又は採掘権)を売りつけるのです。

 昔の資料を見ていると鉱区所有者には政治家、芸能人などの著名人の名前が散見されました。
 そもそも鉱山師から譲り受けた鉱業権が偽物の場合もあるので、通産局の鉱区一覧又は鉱業原簿などで
 調べる必要があり、取得後の鉱業権の延長などの作業は一般人では難しいので、”鉱業界の行政書士”
 プロ集団の鉱業事務所に依頼するという方法もあります。
 かつては各地の通産局の近くには鉱業事務所が軒を連ね、これはこれで懐かしい昭和の風景でもありました。

 鉱山師といっても大きく分けて2タイプ有り、あまり鉱業権、地質・鉱床の知識が無くとも”一山当てよう”という
 動機だけで千古斧鉞を知らぬ奥山に分け入り鉱床露頭を発見し、本邦の鉱山業に多大の貢献をした先人達。

 別のタイプは鉱業権、鉱物の知識が相当有り、鉱量枯渇で放棄された鉱区や鉱床賦存の見込みの無い
 鉱区を高値で売りつけるのです。
 その際の決め台詞は大抵が、関東は「大久保長安の隠し金山だよ~まだまだ金鉱石が残っているよ」
 これが東北になると「藤原三代~」、中部は「信玄公の~」、関西は・・・

 ~古典的な鉱山師の手口~

 前記の例のような一般人の場合は「黄鉄鉱」などを見せれば騙される方々が一定数居ますが、
 相手が少し慎重な人ともなると”敵”も頭と小技を使います。
 昔の古典的な手法で有名なのは"カモ"を廃坑に連れて行き「旦那、これが例の金鉱脈です。
 疑うなら〇〇帝国大学で分析してもらったらどうですか?」といいながら持参の杖で金鉱脈を指し示します。

 この杖には塩化金酸が仕込まれていて、或いは鉱石を渡す鉱山師の軍手に塩化金酸を浸み込ませています。

 その鉱石を持ち帰り、〇〇帝国大学の分析結果を見た”旦那さん”はあまりの高品位に腰を抜かすくらいビックリ!

 とはいえ鉱石サンプルは分析に出す前に泥などを洗い流すだろうし、〇〇帝国大学も、自然界に在り得ない
 分析値の場合は意見書を添えると思います。
 この明治~大正頃の手口はあまりにも有名で、小説などが元かもしれません。

 昭和後期の頃は鉱山買収で鉱山技師が鉱石サンプルを持ち帰る際は鍵付のジュラルミンケースが常識です。

 理由は、鉱山の多くが山奥で日帰りは困難なうえに、鉱山師が策略を巡らし、鉱山技師をあれこれと連れ回します。
 気が付くと辺りは日もとっぷりと暮れた夕闇。そこで村に一軒しかない宿に泊まるのですが、ここから鉱山師の本領
 が発揮されます。鉱山師は「先生。どうですか?一杯」としきりに誘ってきます。勿論酒席はダメ。
 これは会社の上司から厳しく注意を受けています。鉱山技師は仕方なく侘しい晩御飯を一人で済ませ床へ。
 さて、最初の鉱山師の誘いをうまくかわした若き鉱山技師君は睡眠中も油断できません。

 なぜなら寝てる間に忍び込んだ鉱山師がリュックに入れた鉱石サンプルに”塩化金酸の注射”をするのだとか。

 リュックは布製なのでいくら口をしっかり縛っても、注射針は容易に貫通します。

 この話、「鉱山評価」の講義で先生から、他には実習先の鉱山でも聞いたので騙された先例があったのでしょう。

 こういった”輩”が鉱業権の売買を繰り返したり、有望地域の鉱業権を鉱山会社よりも先に取得し高値で売る事例が相次ぎ、
 鉱業の発展が妨げられ、鉱山業本来の姿が歪められることにより、世間の印象では”鉱山業というのはなにやら危なく、
 投機的だ”というイメージが定着しました。

 現在、我々が日常的に使っている「ヤマをはる」「ヤマをかける」「ヤマがあたる」などの言葉は鉱区の登録から来ました。
 「山気(ヤマケ)がある」は”この辺りに鉱脈がありそうだ”という鉱山師の直感から来たものと思われます。

 昔から「三師三方に嫁をやるな」と言いますが、三師とは「鉱山師」「詐欺師」「請負師」
 三方は「土方」「船方」「馬方」だそうです。三方の方はちゃんとした職業で、今では考えられないひどい職業差別ですが、
 三師の「鉱山師」は「詐欺師」と同格(=犯罪者)に扱われていてなんだかガッカリです。


~鉱業権の用語~



「試掘権」

 試掘権は一度取得しても更新時期に然るべき手続きをとらないと権利を失います。
 期間は2年間、2回まで延長可。従って最大6年間試掘する権利があります。
 鉱区税等を毎年納め、2年毎に”試掘した調査報告書”を通商産業局に書類を提出します。
 従ってこの期間内に探鉱する必要があります。探鉱の方法は資金の必要な試錐や坑道でなく、
 地表探査などでも良いのですがとにかく真面目に探鉱すること。

 資源は国家の財産であり開発が適宜行われるならその鉱床の価値はさらに増し国家財政に寄与しますが、
 いたづらに時を浪費するなら国家に与える損害は計り知れません。
 ”名乗りを上げた者はこの区域の価値を速やかに明らかにせよ”ということなのでしょう。
 更には虚偽申請が明らかになれば権利が取り消されます。


 この試掘権の期間に探鉱して企業化の目途が立つと採掘権の登録に進みます。




「採掘権」

 採掘権は有効期限が無く永久ですが、ここに至るまでの手続き、資金、労力はなかなか大変です。
 一般人が仮に鉱山師から試掘権を譲り受けたとしても、最初の2年の期限の書類提出で断念するだろうし、
 採掘権を譲り受けた場合でも更新の手続きを期限までに行わないと権利を失います。

 更には平成24年の改正鉱業法では”技術的能力と経理的基礎を有する者”にのみ権利が与えられるようになりました。
 先願主義に基づく出願手続きも見直され”最も適切な主体が鉱業権の設定の許可を受ける”に改正されました。

 これまで悪徳鉱山師によって適切な資源開発が妨げられていましたが、この改正鉱業法によって然るべき企業法人
 のみ資源開発が行えるようになりました。しかし時すでに遅しの感がします・・・・



「租鉱権」

 採掘権をAが所有していて、BがAからこの鉱区内の鉱物を採掘する場合の権利。
 租鉱権は鉱区の全域について受ける事はできず、採掘鉱種も1鉱種に限られています。
 さらにCが、Aから別の鉱種の採掘許可を得ることもできます。
 この租鉱権は、小規模経営者が乱立する国内鉱業の特殊事情から生まれた特別措置のようです。
 租鉱権の存続期間は5年間、鉱業権者の同意があればもう1回延長、最長10年間です。

 

〜鉱山のおもしろ話②-鉱山師のバイブル、西洋は「デ・レ・メタリカ」、本邦は「山相秘録」、鉱山主には「坑場(かなやま)法律」〜

 16世紀のドイツで探鉱から採鉱、冶金まで多岐にわたって書かれた「デ・レ・メタリカ」には探鉱法として、
 二股の木の枝を持った男の挿絵があります。所謂「ダウジング」です。
 探査精度?確度?は不明ですが、最近まで埋設されたガス管、水道管の探知にも使われていました。

 この「デ・レ・メタリカ」と我が国の「山相秘録」は多くの鉱山関係の専門書で紹介されていました。

 私は大学が秋田ということもあり鉱山学のテキストには「坑場法律」も記載されていました。
 「デ・レ・メタリカ」のほうが鉱業についてかなり科学的に記述されていますが、ここでは我が国の
 「山相秘録」と「坑場法律」について紹介したいと思います。

 江戸時代、今の秋田県の佐藤信景が口述し、孫の佐藤信淵が書物にした「山相秘録」は
 本邦の鉱山師のバイブルとして有名です。

 鉱物の性質と、探鉱から選鉱、精錬まで一通り記述されていますが、この書を有名にしたのは”ある探鉱法”です。
 極めて実践的ではない方法で、残念ながらこの一点で書物の評価が下がる気がします。

 現代人にウケたのは「中夜望見の法」と言い超人的な能力で鉱床を発見する秘法です。
 五月から八月、月の無いよく晴れた夜に二十町以内の山の南から見ると、”金の精は華の如く、銀精は竜、
 銅精は虹、鉛精は煙、錫精は霧の様で、鉛精は風に随い錫の精は風に逆う
”・・そうです。
 夏の太陽が鉱物を熱し、雨で地中の鉱物が蒸され、鉱物が特有の精気を空中に発散するのだと説明しています。
 戦国時代に発見された石見銀山は海上から立ち上る”光”がきっかけだったとか。
 山梨の黒川金山、伊豆の土肥金山も同じようにして発見されたそうです。とは言えあまりにも非科学的で、
 無理やり理論づけするなら鉱物が酸化する際の”酸化熱”で蒸気が発生して、”陽炎のように見える”のでしょうか?

 この鉱物の酸化熱を探査に使う”赤外線探鉱”が有りますが、品位と鉱床規模の劣る我が国では難しいようです。
 海外の”斑銅鉱”の巨大鉱床では山全体が紫~青に見えるそうですが、この場合は夜は見えません。
 ※この斑銅鉱や精錬したての銅地金の紫~青の鮮やかな金属光沢を鉱山用語で「トカゲ鉑(はく)」と表現します。

 ところでこの信景・信淵コンビ、「山相秘録」以外にも「坑場(かなやま)法律」という書物も書いています。
 「山相秘録」が鉱山技術の書とすれば「坑場法律」は鉱山の人事管理とマネジメントの極意を記しています。
 鉱山は人里離れた場所にあり、重労働で、危険も多く、娯楽は少なく、昔も今も人の嫌がる仕事です。
 そのために囚人を労働力に使う例が日本でも海外でもありました。人事管理を誤り労働を強制すると
 暴動が起きたり、鉱山から作業者が逃げてしまい鉱山の操業はストップします。
 「坑場法律」では、”鉱夫を惹きつける”ことが重要であると説いていて、この人心掌握術をかなり具体的に書いています。
 ただ少々残念なことにこの書は佐藤家の子孫に書かれたもので、門人に書かれたものではないようです。
 幸いなことに明治時代に刊行され、この極意を実践したかはどうかは別として多くの鉱山関係者に読まれました。

 鉱夫を定着させる門外不出のその極意とは、

 ”鉱山主は賢くも、見た目は愚に見せかけ、慈悲深い者を選べ
 ”役人は情に厚く、見た目や、話し方が面白い者を選ぶこと。不愛想な者を選んではならない
 ”鉱山直営の賭博場、飲食場、慰安所を設け、娯楽として博打と酒と美女を与えれば山は繁盛する
 特に有名で良く引用される文章は
 ”鉱山から博打を禁じたらこの世から金、銀、銅、鉄は消え失せるであろう”と断じています。

 と、ここまで読むと賭博場、飲食場、慰安所で、鉱夫に支払った給金を再び搾取するかのようですが、
 ”山神祭などの慰安行事を盛んに行い、善行者の表彰、祝儀などを行うように”とも述べています。

 細かいアドバイスは服装にも及びます。

 ”鉱山主以下、絹、紬は厳禁、ただし舞妓、遊女だけは例外で、彼女らの衣類、寝具は絹にせよ

 この方は鉱況悪化に備えてサイドビジネスにも言及しています。

 鉱山の慰安所にいる舞妓、遊女を求めて外から訪れ長逗留して散財する放蕩者は鉱山には「福の神」で、

 ”上客の「福の神」の場合は鉱山主自らもてなせ”と丁重な接客を求め、

 さらには

 ”精錬所では金、銀から装飾品を、作業所では鍋、釜、釘を作り外部に販売せよ”ともアドバイスしています。

 祖父の佐藤信景とその子、孫の佐藤信淵は親子三代の鉱山技術者で、信景が以前経営していた鉱山は
 大いに繁栄していましたが、別の経営者に変わったところ、鉱夫が逃げ出し、程なくして閉山したようです。
 自らの経験を基に極めて具体的で実践的な、現代にも一部通じるアドバイスが書けたようです。

 「山相秘録」はテレビや書籍で紹介されるのを何度も見かけます。
 しかしこの「坑場法律」が書籍で引用されているのは過去に2、3回しか記憶にありません。
 「山相秘録」だけが”例の探鉱法”で有名になってしまいましたが、「坑場法律」はもっと知られて良い書だと思います。

 学生時代と鉱山会社時代に鉱山に関する書籍を古本も含めて読み漁りました。
 当時は神田神保町に地質・鉱山書専門の古本店が有りましたが、今はどうでしょうか・・・
 高校の教科からも「地学」が消えつつあり、人々の鉱山への関心も無くなろうとしています。

 せめてもの救いは「ヒーリングストーン」「ミネラルショップ」などの鉱石、鉱物を扱う店が各地に出来ていることです。

 


 

~鉱山関係の用語~



「鉱石」と「品位」

 資源として利用される鉱物又はその鉱物を含んだ岩石のこと。
 岩石に含まれる有用元素などの含有率を「品位」といい、鉱石の価値を決定する大事な要素です。
 含有率が多いと「高品位」その逆は「低品位」と表現されます。

 例:分析値1tあたり100gの金を含む”高品位の金鉱石”

 以前、地元のTV番組のナレーションで「~この鉱山から掘り出された””は鉄道で精錬所へ運ばれ~」
 もうガッカリです。無価値な”石”をわざわざ運ぶわけもなく、この場合は”鉱石”なのですが
 あらためて鉱山用語は”死語”になりつつあるのを実感しました。

 

「新山(あらやま)」

 休・廃止鉱山ではなく、鉱床が発見され新たに開発される鉱山を「新山」と表現します。
 所謂”処女鉱山”のことで、埋蔵鉱量、品位、可採率を算定し、
 採鉱計画を立て可採粗鉱量を確定。そこから生産予想量と採鉱継続年数、
 年間予想収益を想定してこれから開発の始まる鉱山のことです。
 今の時代、需要も先細りで新規の鉱山開発は難しそう。なのでこの「新山」も死語になりそうです。


 「山元(やまもと)」

 人里から離れた鉱山の場合、坑口、選鉱施設など、場合によっては事務所も同一場所に
 設けられる例があります。この一連の鉱山施設を含めて「山元(やまもと)」と言います。


 「鉱量(こうりょう)」の種類

 「埋蔵鉱量」:経済的に価値の有る鉱床の質量。
         金属鉱山の場合「建値」の変動に伴い鉱床の価値も変わります。
         即ち、金属価格が高騰すれば、普段は採算の合わない低品位鉱石も採掘対象になり、
         鉱量は増え、鉱山の寿命は延びます。

 「可採粗鉱量」:技術的、経済的に採掘可能な鉱石の割合を可採率といい、
          鉱床の賦存状況、岩盤の硬さによっても可採率が変化します。
          この可採率を用いて算定された、鉱床を採掘することによって生じる粗鉱の量。

 「確定鉱量」:坑道、坑井や試錐によって鉱石の存在が確認された範囲を”鉱画”といい、
          この鉱画内の容積と品位が決定された鉱床の質量(鉱量)。

 「推定鉱量」:”鉱画”で確定されていないが、探鉱及び鉱床の性質から容積と品位が推定される鉱床の質量。

 「予想鉱量」:地質学的考察と鉱床の性質で鉱石の存在が予想される鉱床の質量。
         極めて漠然とした鉱量で、特に我が国の場合、断層、褶曲で鉱脈が途切れることが多い。
 

  「採鉱実収率」

 実際に”採鉱された鉱量”と「埋蔵鉱量」との割合のこと。
 母岩と鉱床の関係、岩盤と鉱床の性質、鉱床の規模、状況などによります。
 どんな採鉱法でも100%の採鉱は不可能ですが、この数値は当然鉱山経営に直結するので、
 鉱床のタイプにあった採鉱法を採用し、常に実収率の向上に努めなければなりません。

 我が国の金属鉱山で高品位の脈状鉱床の場合は平均約70%~90%程度ですが、非金属鉱物の
 塊状鉱床の場合は保安上の理由で鉱柱を残すので平均約35%程度になります。

 

  「ずり(廃石)混入率」

 実際に”採鉱された鉱石”中にどのくらい”ずり(廃石)”が入っているかの割合のこと。
 脈状鉱床を採掘中に急に細脈になった場合などに”ずり”の混入が増加します。

 各地の休廃止鉱山に行くと、斜面に広大な”ずり”が拡がり鉱山の在り処が容易に判ります。
 鉱物産地で有名な鉱山に、古地図を頼りに藪漕ぎをし、尾根を越えて対岸の斜面を見上げると、
 そこには斜面一面に”ずり”が・・・思わず息を呑む瞬間で、目的地に辿り着いたのが判り、
 テンションはMax⤴!!足も早まります。この到達感も鉱物採集の醍醐味と言えましょう。

 

 


〜鉱山のおもしろ話③-衛星鉱床にも価値有り!寄らば大樹の陰〜

 江戸時代や明治時代から延々と操業している鉱山は全て、高品位で大型の鉱床を採掘しています。
 これだけの”大鉱床”が出来るからにはその周辺にも似たような鉱床が存在する筈です。

 巨大な”本鉱床”の周囲を取り巻く”衛星鉱床”が実際に存在します。

 当然ながらこれらの大手鉱山会社は”本鉱床”には勿論のこと、その周囲にも自社の鉱区を所有しています。
 これを”保護鉱区”と言います。自社の財産を鉱山師などから守るために先願して権利を確定させたのです。

 狙いはこの”保護鉱区”の周囲です。ここに”衛星鉱床”が賦存する可能性が有るため、中小の鉱山会社と
 鉱山師は、大手が登録していない地域に鉱区を出願する例がかなり有りました。

 上手く鉱脈に当たり、操業が始まると近くの大手鉱山の精錬所に売鉱します。

 最大のメリットが、精錬所に近いために運搬費用も抑えられることです。

 なかには選鉱場を持たない中小或いは個人の鉱山が、粗鉱をそのまま売鉱する例もありました。
 大手が見向きもしない”衛星鉱床”は通常は規模が小さく、これを採鉱する会社も経営規模は小さいのが
 当たり前のようですが、小さい鉱山でもボナンザに当たり鉱山会社を上場するまでにした経営者も居ます。

 かつての山形県の産銅、金地帯での例ですが、そこも大手鉱山とその周囲に中小鉱山がひしめき合っていました。
 そこの鉱床は深部に行くほど銅が多くなり、地表部は逆に金の品位が高いという特徴の鉱床で、資本の無い個人は
 自ずと地表部の採鉱が主となります。個人で採鉱していたある方は、その、銀、銅の鉱山で、地表から
 少し掘り進めただけで肉眼で”自然金”が見えるボナンザに大当たりして会社を設立。
 その後も社業は順調で東京に本社を構え、全国に金属から燃料資源まで、数多くの鉱山を所有していました。
 社長さんは、とにかく”金山”にこだわり各地の休廃止金山を買い取り経営されていました。
 これが人を虜にする”金鉱脈”の魅力というか魔力というか・・・私には羨ましい限りです。



 

~採鉱関係の用語~



「切羽(きりは)」

 採掘を行っている現場のこと。露天掘、坑内堀を問わない。特に正面の最前線を切羽面と言います。
 この用語はトンネル工事、土木工事でも使われています。
 掘削作業は鉱山、土木を問わず共通なので「切羽」以外にも「切り上がり」「天盤(てんばん)」「踏前(ふまえ)」
 などの用語は全国の工事現場で使用されています。



「切り上がり」「切り下がり」

 「坑井(こうせい)」のうち、下部坑道から上部坑道へ向かって掘削したものを「切り上がり」。
 その逆は「切り下がり」。この2つは完成したら区別はつきません。
 あくまでも作業中に用いる呼称です。



「引立(ひったて、ひきたて)」

 坑道の最奥。掘削中の坑道の場合はそこの終点、この場合は引立=切羽になります。
 掘削期間中は切羽が前進するため、引立の位置が日々変わります。


「天盤(てんばん)」

 坑道の天井部分。頭の上にある全ての岩。母岩、岩盤だけではなく鉱石の場合も有ります。
 見上げると天井も鉱石だった場合、嬉しくてドキドキします。


  ※「上盤(うわばん)」と混同し易い言葉です。鉱体の境より上にある岩盤を「上盤」と言い、
  その反対の鉱体の下側の岩盤は「下盤(したばん)」と言います。
  

 
「踏前(ふまえ)」

 坑道の下の部分。足の下にある全ての岩。母岩、鉱石の場合も有ります。
 大規模な鉱体の場合、「天盤」も「踏前」も全て鉱石で、その場所に立つと気分が高揚します。
 

「透(す)かし堀り」

 鉱体や炭層を掘削する場合に、坑道の下部(踏前の付近)から掘削すると鉱体上部が掘削しやすくなります。
 これは鉱石が”自重”で落ちてくるためで、採掘費用を抑えることができます。
 この場合は「下透かし」で、天盤に近い上部を先に掘削すると「上透かし」、中央部が先だと「中透かし」
 この「透かし」を絶妙のタイミングで掘削する名人がどこの鉱山にもいました。
 程良く「下透かし」を行うと適量の鉱石が”ドサドサ”と落下します。
 これをローダーですくい、貨車へ、鉱石が無くなると再び「下透かし」を・・これを繰り返します。

 金丸鉱山の鉱夫Kさんがまさにその方。この方以前は山梨県の水晶鉱山に居たそうで、
 当時は水晶とその加工は山梨県の地場産業で県内のあちこちで採掘されていたそうです。
 いずれも小さい鉱山で、半年から1年位で掘り尽くす規模の石英脈を採掘後は、別の石英脈へ、
 或いは別の鉱山会社へ。鉱夫派遣会社に在籍していたために、転々と移動していたそうです。

 山梨県営、公社?の水晶鉱山もあったそうで、そこでの話です。
 ある時「下透かし」を行ったら上にぽっかりと”晶洞”が空いていたそうです。
 そこには紫水晶が成長していて、長年水晶堀りをしていた鉱夫Kさん達は始めて紫水晶を見たとか。
 その後は閉山まで紫水晶を見る事が無く、この時一度きりだったそうです。幻の紫水晶の産地ですね。

 
  

 
「追い切り」

 探鉱坑道などで最小限の断面で掘削した坑道を、採掘、運搬などの必要性が出てきて、
 後から断面を拡げることを「追い切り」といいます。
 

「竜頭(りゅうず)」

  坑道や切羽を保護するために、岩盤や鉱体の一部を柱として残す。鉱柱とも言われる。
  この部分の鉱石を保安の為に残すため採鉱実収率は30~50%に留まります。
  鉱体又は岩盤が堅固であれば鉱柱は細く出来るので、鉱石の採掘量を増やせます。
  人工的に「柱」を造れば、鉱石はその分多く採鉱出来ますが、費用対効果で判断されます。
  埋蔵鉱量と可採鉱量が大きく異なるのはこれも理由の一つ。



「走り(はしり)」

  掘進中の坑道を「走り」と言います。坑道の掘進方向を加えて使用します。
  北の方角に進む坑道は”北走り”。或いは、「この坑道は”西に走っている”」など

  この「~走り」が自然に口に出るようになればあなたはもう一人前の鉱山男。

  廃坑探索で仲間に「見たまへ、この西走りの引立に黄玉の脈が在りさうじゃないか」とか言うと
  一目置かれるのは間違ひなし。



 

〜鉱山のおもしろ話④-昔は運任せ?の鉱業ー技術は何処へ〜

 鉱山で採鉱をしていると時折、鉱脈が大きく膨らんで品位の高い場所にぶつかることがあります。
 「直り(なおり又はボナンザ)」と言い富鉱体のことで、鉱山ではこれに当たるとお祭り騒ぎ。

 東北のかつての某上場金属鉱山では鉱量枯渇のため、役員達が本社で真剣に”会社解散”に
 ついての会議をしていたところ、突如現場から”ボーリングで黒鉱の高品位鉱体にぶち当たった
 との吉報が届き、深刻な会議はどこへやら、大宴会になったそうです。

 当時は昭和30年代から急速に進んだ試錐技術により、秋田県北鹿地域に於いて地下250mを
 越える深部から、驚く程高品位で塊状の黒鉱鉱床が相次いで発見、新鉱山が次々と開発され、
 鉱業界は”黒鉱ブーム”の真っ只中。各社、秋田県内の鉱区に膨大な数の試錐を行いました。
 もちろん当てずっぽうではなく、少し前に完成した「秋田県全県地質図」で位置を絞り込みました。

 金丸鉱山のS社長もかつて鉱量枯渇で閉山の決定した愛媛県の大久喜鉱山で高品位銅鉱床を
 探鉱坑道で探り当て大久喜鉱山はさらに3年閉山を伸ばすことが出来ました。
 海外のキースラーガー鉱床の論文を参考に推定位置に「切り上がり」を実施したそうです。
 この2例は技術者が鉱床の存在しそうな地点を推定、そこに試錐や立入れをして「直り」を発見した成功例です。

 戦前までは大手鉱山会社といえども探鉱にはあまり力を入れず、特に中小、個人の鉱山では「直利」は
 全く偶然の出来事で、”神頼み””運任せ”ならぬ「直り」に社運をかける傾向が有りました。

 一に「建値」、二に「直り」、三、四が無くて五に「技術」という鉱業を揶揄する表現が有ります。

 
 

~坑道関係の用語~



  
「しき」「間歩(まぶ)」

 坑道の古い呼び方。特に「間歩(まぶ)」は時代劇で佐渡金山、生野銀山などのシーンで使われます。
 多くの場合、金、銀の横流しで私服を肥やす悪徳代官が不正発覚を恐れ、助さん、格さん、御老公を
 〇〇間歩に閉じ込め、水没を謀るも1時間の放送枠に収めるためにあえなく露見し、弥七の風車が・・・・
 「坑場法律」が書かれたのが江戸時代後半ですから、こ奴ら悪代官が読んでいる筈もなく
 ましてや一子相伝、門外不出の書ですから、尚更です。


 坑口は「四つ留め口」、坑口から真っ直ぐ伸びる坑道を特に「本番」といいました。
  


「通洞(つうどう)」

 交通、運搬、排水、通気などの目的に使われる主要な水平坑道を「通洞」と言います。
 大切坑と似ていますが「通洞」のほうが坑道断面も大きく、通気のために両側が外に抜けている場合が多いです。

 恒久的な使用を前提に多くの場合コンクリートで仕上げられ、各地の”観光鉱山”の坑道はたいていこの「通洞」です。
 栃木駅の足尾銅山では街の地名に「通洞」が付けられ、わたらせ渓谷鉄道の駅名は「通洞駅」




「大切坑(おおぎりこう)」

 鉱山で最も低いレベルにある坑道。排水、運搬に使われるため一般的にかなり恒久的な作り。

 鉱山では「通洞」「大切坑」以外の坑道にも名称を付けますが、大手鉱山会社は「西一号坑」「大正坑」
 「上30m坑」など比較的地味で実用的な名称ですが、これが中小、特に個人の鉱山ともなると「歓喜坑」
 「繁栄坑」「金富坑」「勝利坑」などの、経営者がボナンザを期待するような名称を好んでつける傾向があります。

 これは鉱床も同じで、大手は「稲荷沢鉱床」「本坑鉱床」「下部鉱床」「北鉱床」などに対し、中小鉱山では
 「黄金栄鉱床」「万福鉱床」「花嫁鉱床」などが在りました。

 産出鉱石に”高品位を世間に誇るために名付けた”例もあります。
 京都府夜久野町の蝋石鉱山ではダイアスポアの高品位鉱石に「超特級鉱・世界一」と名づけていました。




「立坑(たてこう)、竪坑」

 地上から地下の鉱床に向けて掘削された垂直な坑道。交通、運搬に使われます。
 エレベーターを巻き上げ機で昇降させるために、「立坑」上部には巨大な”櫓”が設置されます。

 この”櫓”は鉱山のシンボルになり、各地の産業遺産ではメインの見学場所となります。
 福岡県の国営志免(しめ)炭鉱竪坑櫓は規模が大きく、重要文化財に指定されています。




「盲立坑(めくらたてこう)」

 ”盲”は今では差別用語です。鉱山では地表に坑口の無い坑道は全て「盲坑道」と呼んでいました。
 この場合は坑内に設けられた「立坑」で、当然、坑口は地表ではなく坑内です。

「坑井(こうせい)」

 坑内に設けられた「立坑」の一種で、上部坑道と下部坑道を連絡します。
 鉱床中に設けられる場合が多く、梯子を使って鉱員の連絡にも使われますが、主な用途は鉱石やずりの
 運搬です。資材の運搬や通気にも使われますが「立坑」が閉山まで使用される恒久的な造りなのに較べ、
 「坑井」はその付近の鉱石採掘が終了すれば役目が終わるので簡易的な造りです。

 廃坑探索では突然足元に穴が在るので、歩く際に最も注意を要する坑道です。



「斜坑(しゃこう)」

 「立坑」よりも安い費用で作れるため、小鉱山や探鉱に主に使われてきました。
 距離が長くなるので、坑道の維持や運搬効率が悪く、「立坑」に較べ不利とされてきましたが、
 軌道を使わず、ダンプが直接切羽に乗り入れる「トラックレスマイニング」方式の採用で見直されて、
 現在では大型ダンプの通行できる大断面で傾斜の緩い斜坑が主流となっています。

 余談ですが「斜坑」と言えば”鉱山ミステリー小説の大家”草野唯雄の九州の炭鉱が舞台の「影の斜坑」を思い出します。
 炭鉱の補助金の不正融資を暴く為に炭鉱に潜入した鉱山会社社員が、殺されそうになり、やがて次の殺人が・・・

 愛媛県のクロム・橄欖岩鉱山が舞台「北の廃坑」は「影の斜坑」同様に鉱山の不正を暴くため本社から潜入した
 社員。ところがすぐに身バレ。橄欖岩から意外な鉱物が産出しそれが不正に繋がるのを確信するも・・・
 冒頭に「〇〇鉱山は我が社のメタルマインである・・・」とあり、これは鉱山会社特有の言い回し。
 やはり作者は明治鉱業に在職していたそうです。
 ところでこの鉱山会社の社員、いずれも頭脳明晰、体力頑強で精悍な顔つきのいわゆる”イイ男”
 モテない訳がない。このルックスに助けられ、周りも主人公をほっとけず・・・ネタばれするのでこのへんで。

 「交叉する線」は氏の鉱山ミステリー小説の原点で架空索道のトリックをベテラン刑事が見破る。
 実際にあった事件をモデルにしたそうです。
 草野唯雄の鉱山ミステリー作品は学生時代にハマりました。他にも数作品有りますが正統派はこの三作品。
 これらの鉱山ミステリーは、草野作品の中では一般人には人気が無く、ドラマになるような売れた作品ではなかったので、
 今では全て絶版になっているかもしれませんが・・・




「見合い」

 斜坑と水平坑道とが連絡する場所。



「プラット」

 立坑と水平坑道とが連絡する場所。プラットフォームの略



「𨫤押坑道(ひおしこうどう)」

 鉱山では鉱脈のことを「𨫤(ひ)」と呼びます。例:亀山盛𨫤、

 鉱脈に沿って走向方向に平行に掘削された坑道。採鉱、探鉱の際に使用されます。
 特に昭和以前の休廃止鉱山によく見られる「狸堀り」は鉱脈に沿って、人がやっと屈める
 最小限の加背で、方向を変え、アップダウンを繰り返します。
 最小サイズの坑道では掘削土砂などは”カッチャ(カッサ)”で掻き出し”もっこ”で運び出します。
 


「加背」

 坑道や坑内作業場の断面のサイズ。
 昔は”横幅5尺、高さ6尺”などの尺貫法での表現でしたが、現在はmで表されいます。
 「トラックレスマイニング」方式では10mを越える大断面加背も有って、
 大型のダンプやペイローダーが坑内を走り回っています。


〜鉱山のおもしろ話⑤-これは運任せ?”建値(たてね)”〜

 「直利」という鉱床の状態に経営が左右されるのはやむを得ないことですが、金属鉱山の経営には”建値”という
 もう一つの重要な要素が有ります。金属の価格は英国・ロンドンの市場取引価格で決定されます。
  LME (London Metal Exchange)価格といい国内外全ての金属鉱山業がこの数値に一喜一憂、
 増資する場合もあれば、企業努力では如何ともしがたく倒産する場合もあります。

 我が国でもこの建値の高騰で、閉山が一転して大好況になった例や、採算の合わなかった低品位鉱床が採算にのり、
 鉱山の寿命が延びた例が多々有ります。その逆のパターンも勿論有ります。

 国内の金属鉱山業は昔は1ドル360円の固定レートで操業していましたが、変動相場制になり、
 更なる国際競争にさらされ、低品位で、鉱床規模の小さい我が国の鉱山は次々と閉山しました。

 バブル期の頃、金価格が3千円を越え、鹿児島県菱刈金鉱山の成功も有り、金鉱山の探鉱、開発意欲が高まり、
 岩手県では北上と三陸の2か所で国内の会社が、石川県では外資がそれぞれ探鉱をしました。
 それ以上に”金鉱山への投資”を募る怪しげな会社も乱立し、”やっぱり鉱山は胡散臭い”というイメージがまた再燃しました。

 その頃はまだ国内の鉱山会社には技術者と鉱員が現役で在職、鉱山操業の技術が連綿と続いていて、
 有望な探査結果と、資金の目途がたち、環境への対策をクリアすれば鉱山の開発が可能でした。
 令和の現在はその時以上の金価格の高騰で、世界的に金鉱山の開発と投資に関心が集まっているようですが、
 果たしてこの時代、この国で、国内の人材だけで新たに鉱山を開発することができるでしょうか・・・
 

~鉱床、鉱石関係の用語~



「直り(なおり)、ボナンザ」

 鉱脈、鉱床ともに全て均一な品位では無くて部分的に高品位の鉱石が農集している場合があります。
 この富鉱体を「直り(なおり)」、特に規模の大きなものは「大直り」ともボナンザとも言います。
 特に鉱脈と鉱脈が交叉した場所は特に高品位になる傾向があり、この場合は別に「落合直り(おちあいなおり)」と称します。

 「ボナンザ」は本来はスペイン語ですが、米国西海岸のゴールドラッシュで一般的になり、
 西部開拓時代のアメリカ映画にしばしば出てきます。
 私の世代は「ボナンザ」を良く使い、年輩の方達は主に「直り」を使っていた記憶があります。

 この「直り」、朝鮮半島では「のだち」と呼びます。かなり昔に欧米の鉱山技師が”自然金”が
 肉眼で見える程の高品位金鉱脈に当たった際に、作業員の盗掘を警戒し、
 「Don't touch!」→「no touch!」→「のーたっち」→「のだち」になったとか。

 

  「露頭」と「潜頭」

 鉱脈、鉱床が地表部の露出している場合「露頭」とよばれます。
 発見も容易で、昔から開発された鉱山は例外なく「露頭」か、そこから流出した転石から開発に至りました。
   表土に覆われた鉱床は「潜頭」とよばれます。この場合の発見は昔は困難でしたが、
 近年では地質図、化学図で目安をつけ、物理、化学探査で絞り込み、試錐で確認します。
 我が国では昭和30年代に秋田県北鹿地方で深度250mを越える試錐で次々と”高品位塊状黒鉱鉱床”を発見。
 近年では鹿児島県菱刈で金鉱脈を試錐で捉え、菱刈鉱山が誕生しました。

 「露頭」を発見するのは鉱山師にとって最大の栄誉で、発見が自分だけなら独り占めですが、有望な金鉱脈を
 複数人が発見した場合に、これを巡って”争い”が起きるのが西部劇の定番。



  「焼け」

 地表部に露出している「露頭」が長年月に酸化したもので、鉱床の酸化帯。
 硫化鉱物は酸化され、褐鉄鉱になり赤茶色に変色し”焼けた”ような色合いになります。
 この「焼け」はかなり遠くからでも目視でき、最も解かり易い鉱床の目印です。

 一般的に風化から残った、尖った「焼け」は鉱脈の場合が多く、平面でやや窪んだ「焼け」は
 塊状鉱床の可能性が有り、後者のほうが鉱床規模が大きい傾向があります。



〜鉱山のおもしろ話⑥-戦前は同じ金かけるなら探鉱よりも採鉱?ー大事な”探鉱”〜

 戦前のあるメタルマイン(金属鉱山)の話です。ある人が偶然に鉱脈を発見。
 その鉱山は発展し、村には映画館ができるくらい繁栄しました。ところがその鉱山主、
 儲けた金は鉱山に投資をせずに全て自分が贅沢することに使いました。
 その鉱山は見える範囲の鉱脈を樋押しするだけなので、やがて鉱脈は途切れます。
 鉱山主はあせって坑道を掘り進めますが手持ち資金がたちまち尽き破産へ・・・

     ~ここまではかつて全国各地であった出来事です~

 その鉱山を安く買い取った某鉱山会社、放棄された坑道のすぐ先に新鉱脈を発見。
 その周囲を探鉱してボナンザも当てその鉱山は再び繁栄しました。

 昔から”鉱山(ヤマ)の稼ぎはヤマに戻せ”と言われています。

 資金に余裕の有る繁栄期に探鉱に努めよという教訓ですね。

 金丸鉱山のページで鉱山は「減耗資産」を対象としていると書きました。
 採鉱をすると次第に”資産が減耗する”ため積極的に探鉱して減耗分を回復しないと鉱山は老化します。
 このことは昔も今も同じ認識なのですが、採鉱も探鉱も地中を掘るという行為に変わりはありません。
 そこで戦前は同じ金かけるなら探鉱よりも採鉱という考えが業界では一般的でした。

 探査技術も今よりも進んでいなかったので労多くして実り少ない”作業だったからです。

 特に中小鉱山はそうでした。過大な投資をし、選鉱所は勿論、精錬所まで設け、最初は高品位だった鉱脈も、
 断層などで途切れたり、低品位鉱に変わったりで、会社が傾くほどの大損害を被ることが多々有りました。

 鉱山跡に行くと「なんでこんな小さい鉱山に大規模な施設や精錬所まで作ったのだろう??」という場所が有ります。
 後世の我々はこの鉱山の寿命が短いのを知っていますが、当時の関係者は繁栄を信じて設備投資をしたのです。

 戦後は米国の技術者、学者の助言、指導があり探鉱の重要性が鉱業界の常識になり、
 進歩した物理・化学探鉱や海外の試錐技術の導入などにより、資本力の有る大鉱山を中心に探鉱が進められ
 各所で次々と新鉱床が発見され、数十年採鉱して老化した鉱山が、探鉱の成果により若返りました。

 限られた鉱区内にもともと鉱床が存在しない場合もあるので、いくら探鉱しても無駄では?という考えも有りましたが、
 たとえ探鉱で新鉱床が獲得できなくても、今開発してる鉱床の真の価値を知ることができ、

 稼行価値が無いという事実を確認することにより、鉱山施設、インフラなどの無駄な投資を抑えることができます。
 
 昭和後期~平成期には、中小企業には通商産業省の探鉱補助金制度が利用できました。

 国主導の探査では金属鉱業事業団による広域探査なども有り、新鉱床の発見、鉱山開発の成果をあげました。
   

~探鉱の用語~



「トレンチ」

 トレンチとは”塹壕”つまり地面に細長い溝を何本か掘って、鉱脈の幅や走向、延長方向を確認します。
 一般的に幅は1~2m、深さは1~2m程度ですが地表下の岩盤に到達するまでさらに深く掘る場合もあります。

 鉱床が地表に近い、露天掘りの鉱山の周辺にはあちこちに”モグラの穴”のようにトレンチが掘られていて、
 私的には「鉱山に来た!」とテンションMax!何故か血が騒ぎます。

 以前、韓国の蝋石・明礬鉱山に行った際に新しいトレンチと、かなり古く、長~いトレンチが無数に掘られていました。
 現地の人に聞いたら新しいトレンチは”探鉱”のために、古いトレンチは「朝鮮戦争」の際に掘られた本当の”塹壕”でした。

 「朝鮮戦争」は朝鮮半島の南から北まで戦線が移動しましたが、こんな朝鮮半島南端の山奥までが前線になり、
 ”南”と”北”がこの”塹壕”で対峙したかと思うとかなり衝撃でした。



「ピット」

 ピットとは竪穴、”タコ壺”とも呼ばれます。鉱床の存在しそうな場所に、鉱床にぶつかるまで穴を掘ります。
 梯子をかけるので一般的に丸型ではなく長方形の穴を掘ります。あまり深いと湧水があるのでせいぜい10m以内です。
 なにしろ手作業なので、硬い岩盤にぶつかった場合は手掘りには限界があり、無理をせず試錐に変更したほうが、
 能率も上がり、費用対効果、保安面からも試錐のほうが優位です。
 

「立入(たていれ)坑道」

 探鉱のために掘進される坑道のこと。
 昔は試錐の道具が大型で、山奥への運搬が困難だったために坑道を掘りましたが、
 坑道掘進はかなりの費用と時間がかかります。
 戦後は試錐技術も進歩し、運搬機械も普及したので、試錐に変わりました。
     

〜鉱山のおもしろ話⑦-中小鉱山の味方の探鉱方?トレンチ探鉱、ピット探鉱〜

 探鉱にはいろんな方法がありますが、山野を歩いて露頭を発見したり、沢を探索する”転石探鉱”などは
 昔から行われているお金のかからない方法です。
 スコップ、つるはしで出来るトレンチ探鉱、ピット探鉱も規模によっては比較的簡単な探査方法です。
 各地の鉱山跡で草に覆われた”溝のような地形”を良く目にしますが多くはトレンチ探鉱跡です。

 金丸鉱山近くのウラン鉱徴地にはかなり大きなトレンチ探鉱跡が有ります。

 事業者は「原子燃料公社(現・動力炉・核燃料開発事業団)」
 当時の我が国が核燃料にかける意気込みが伝わって来ます。

 昔は資本力の有る大鉱山の場合は、所謂”スコップ土方”を数十人~百人規模で雇い入れ、
 樹木を伐採した後に人海戦術で”今日はこの谷、明日はあの尾根”といった具合に、
 目の届く限りの地表にトレンチを掘ります。
 山肌はすっかりはげ山になり、治水が~!!自然環境が~!!と今なら大問題になりそうですが、
 明治~戦前まではおおらかな時代、基幹産業の鉱業に文句を言う人もいなかったのでしょう。
 私は聞いた話から想像するだけですが、山肌に大勢の人が取り付き一斉に作業する光景はさぞかし壮観だと思います。
 
   

~選鉱関係の用語~



「粗鉱」「精鉱」

 地中から掘り出しただけの鉱石を「粗鉱」、このままでは不純物を含むので選鉱して、
 「精鉱」にして出荷されます。
 この精錬所に送られる鉱石はかつては「鉑(はく)」とも呼ばれていました。
 鉱石を精錬所に送ることを「荷下げ」といいます。


「片刃」「ずり」「尾鉱」

 選鉱途中の未だ鉱石と石の混じったものを「片刃」と言います。
 金属価格が高い時は「片刃」はもう一度選鉱され利用されます。石などの不純物は「尾鉱」として捨てられ、
 これら「片刃」と「尾鉱」の混ざったものや、鉱山からの廃石が「ずり」です。
 「ずり」には鉱石がかなり残っているうえに、適度なサイズに砕かれているため鉱物採集の良いフィールドです。
 金属価格がさらに高騰するか、技術革新により「ずり」が再び利用されることがあります。
 佐渡金山では江戸時代に捨てられた「ずり」から浮遊選鉱により再び”金”を回収しました。


   

〜鉱山のおもしろ話⑧-鉱業界の革命!火薬と浮遊選鉱

 採鉱における革命は、19世紀に発明されたダイナマイトを主とする「火薬類」を使って
 硬い岩盤を大量に破砕することです。これにより金属が安価で大量に利用できるようになり、
 ”貴族・王族のための金属”から”庶民も利用できる金属”へと価値が大きく変化しました。

 もう一つの革命は同じ19世紀の後半に発明された「浮遊選鉱」で選鉱に驚異的な回収率を実現しました。

 これは”石は水に馴染みやすく、鉱物(特に硫化鉱物)は水をはじきやすい”という性質を利用したものです。

 鉱石を細かく砕き、これを”界面活性剤”の水溶液に入れ、空気を送りながら攪拌すると大量に発生した”
 の表面に鉱石だけ付着し、石は下に沈みます。硫化鉱物には特に有効です。
 初期の頃は水と油の混合液に鉱石を、次第に空気を送り込んで気泡を発生させるようになり、立ちを良くするため、
 界面活性剤(洗剤の主成分)を加えるようになり、今では鉱物毎に様々な薬品の組み合わせで実収率は飛躍的にアップ。
 戦後は界面活性剤の研究が進み、様々な界面活性剤が作られ各地の鉱山で実収率の向上が進められ、
 神岡鉱山の場合、亜鉛選鉱実収率は1920年代には60%だったのが、1950年代には95%まで向上しました。
 
 この「浮遊選鉱」のきっかけは諸説ありますが、”界面活性剤”と””を用いる方法は、米国の女性地質学者が
 採取した鉱石を洗剤で洗っていたところ、の表面に砕けた鉱石の粒が集まるのを見て閃いたとか。
 この発明で20世紀は金属の効率的な採取と大量消費が可能になりました。

 地中に大量に存在する珪酸塩鉱物は有用金属の分離が困難で、粉砕した鉱石を直接精錬しています。
 この過程で無駄なエネルギーを使っていて、コストは硫化鉱物の数百倍も高くなり、精錬の前処理に、珪酸塩から
 金属を効率良く分離する選鉱技術の確立が次の革命と思われます。

 採鉱では薬液を使って鉱石から直接、有用金属を抽出する「リーチング」が、金鉱石には活性炭や樹脂で
 金を採取する方法(CIPなど)が各地で行われていて、低品位鉱の利用が進んでいます。


 

~精錬関係の用語~



「床屋、吹屋」「吹く」

 鉱石を精錬することを「吹く」と表現します。  精錬所は「床屋」または「吹屋」といいます。
 岡山県には「吹屋」という地名が今も在り、かつては「弁柄(べんがら)」の産地でした。


「鉑(はく)」「湯」「鍰(カラミ)」

 精錬所で鉱石は昔は「鉑(はく)」言いました。鉱石が溶けたものが「湯」、
 「湯」の上に浮かんだ、有用金属を取り出した後のカスが「カラミ(スラグ、鉱滓)」です。
 


       

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